1000日突破記念 わたしとついったー

2010年2月18日

Twitterを使い始めて、2月10日あたりに1000日を越えました。
なので、小学校の作文みたいなテーマで駄文をひとつ。

私がこのサービスを使い始めたのは、2007年の5月、ゴールデンウィークが終わって少し経ってからのことです。
3月あたりからTechCrunchでこのサービス名を良く見かけるようになり、4月には日本のブロガーさん達のレビューがあちらこちらに見られるようになり、mixiやはてなでコミュができ、日本のクライアント作者さん達が良いモノを作り、その様子を見ていたので、やってみっかーと軽い気持ちで始めたワケです。

当然英語のみのサービスでしたし、毎日のように頻繁に落ちるし遅延するし、家族や友人知人には「また変なことやってるよ」っていう目で見られるし、今みたくデキル社会人のトゥイッター☆みたいなことは全然無いです。

多分、@はもう使えるようになってたけど、.@の振るまいとか、他のユーザのタイムラインが見えるとか、今とは違う仕様だったところも多々あり。当然RT・QTは無く、spamは居たけど報告する手段も無く。
あと、サーバメンテする猫。←これ重要

さて、Twitter初心者指南のブログ記事によく見かける、Twitterで○○する!みたいなの。Twitterする目的ですかね。
自分の場合は何だろうなーと考えてみたんですが…特に格好良いお題目は無いです。

他人の発する声が聞きたかった…かな。
情報収集、ってな格好良いものではないです。

強いて言えば、とるにたらない私が日々ノイズをかき集め、とるにたらない私みずからノイズを発生させ、いろんな人のノイズ同士がぶつかり合って不思議と良い音になる、その瞬間をたまたま見た、見たものと見たこと自体が快感になる。それがイイ。

あとからまとめて整形されたのとはまた違う良さです。
これはネタの高尚さとは関係ありません。

なので、元から良い音ですよ!が売りの、良質な情報とか役に立つ情報のみを発信しますというアカウントには正直あまり食指が動きません。

かと言って、すばらしいブログを書いているブロガーさんや、良い仕事をしている企業家の方、国政や地方政治に関わる公人のみなさんをフォローしないワケでもないんです。

なぜか。だって面白いこと考えてそうだから。

良いお仕事をされている方が、ブログや書籍にご自分の所見をまとめてカタチにする。
それをありがたくも気軽に見られる、良い時代に生まれたなぁと思うのですが、そういう人たちが、日々どんな風に毎日を過ごして、そういう見識を持つに至ったのか、それはあまり見ることはできませんでした。

遠くできらきらと瞬いている星のような人が、どうしてそんな風に光って、様々なことを成し遂げて行くのか。その人がタイムラインに何かを投擲し続ける限り、その瞬きの発生する材料と、その瞬間を垣間見ることができる。
これってけっこうすごいことですよね…。

様々な人の発する音を聞いていると、おや、と思うことを発している人を見つけることがしばしばあります。
それは、自分と同じような本名ではない普通のアカウントの方だったりするわけですが、普段の何気ない発言の合間に、卓見だなぁという投稿が。
市井の賢人をひとり見つけた、と嬉しくなります。

そんな風に、ひとひとりが面白い何かを発していることもあれば、池に石が落ちて水面に波紋が広がるように、誰かの発言が端緒になって、何人ものそれに対する反応がタイムラインに上がってきて、その様子にわくわくすることもあります。

波紋が起こっていることそのものが面白く、どういう波状を描くのかも面白い。
その波紋の中に、思いもしなかった何かを見つけることがありますし、今このタイミングでこれが私の見える範囲に来たのは何故だろうと考えるうちに、ちょっとイイモノが見つかったり。
セレンディピティが常に全開になっているので、最大MP?も上がったりして。

この波紋はTwitterよりもTumblrの方がより顕著で見えやすいので、ついそちらに目が行ってしまうのですが、Tumblrはコンテンツを中心とした波紋なのに対し、Twitterの方は、情報の結晶が直接声を発している波紋なので、人の間を通る度に誰の手で伝達されたかという付加情報で一様でなく変容していくのがなんとも言えず興味深いものです。

昨今導入された公式RTは、ある特定の発言の被RTが一覧で見ることができるので、誰がその発言に反応したか、ああこの人もこれRTするんだ…というのが楽しみの一つになりつつあります。
自分の発言を誰がRTしたかよりも、自分がRTした発言に対して他に誰が反応しているかを見る方が楽しいです。

人が一人生きている間で、何かすごいことをやってしまう人、というのは一握りです。ただし、そういう人ばかりで世間ができ上がっているわけではない。

名も無い普通の人が日々いろんな事象に接したこと、思ったこと、そういう声が響き合って、時代性が形成されていく、時代性になる前の空気感、陽炎か風のようなものが目に見える形になっている。
それを見たいと思う人には面白い場所だと思います。