中江藤樹記念館に行くので事前メモ

2015年9月11日

参加しているデザインチーム・D×Kの月例ミーティング。いつもはグランフロント北館のナレッジサロンでやっているのを、今月(9月19日)は特別に滋賀県高島市の古民家をお借りできることになったので、いつかは行きたい!と思っていた高島市の中江藤樹記念館に行きたいと言ってみたところ、遠足メニューとして追加してもらえることに。やった〜ヾ(・ω・*)ノ

他のメンバーにも来て欲しいので、ざっくりとしたアウトラインをまとめました。
その思想とか正確性に欠けているところもあるかと思うのですが、歴史にあんまり興味がないデザイナー仲間に伝わるように、ふんわりした内容にして、現在の地名にしたり現代的な名称に変えたりしています。

仲間内の掲示板に書いたもので後から探すの大変なので、こっちに予備のメモとして残しておきます。

近江聖人中江藤樹記念館

中江藤樹て誰やねん!という人がほとんどだと思うのでざっくり解説をば。
興味が湧いた方はご一緒しましょう(・∀・) ちょっと(だいぶ…?)マニアックだけど!

・中江藤樹(1608〜1648)
現在の高島市出身、江戸時代初期の陽明学者・教育者。
鳥取や愛媛でお役所勤めをした後、27歳で故郷に戻って「藤樹書院」という私立学校を開く。
武士、農民、町民などの身分に関わらず学問を教える姿勢から滋賀県下はもちろん、京都や大阪からも門下生になる人が続出、死後は「近江聖人」※と呼ばれるように。

※聖人:儒学で理想とする完成された人格を持った人。聖人君子の聖人。

淵岡山などの門下生が京都で学校を開くなどして、近畿地方の裕福な町民や農民を中心にその教育方針が浸透する。特に地元の近江商人と、地理的に行き来の多かった伊勢商人にその色が濃い。
近江商人の「三方よし」は中江藤樹の教えを受けた人々が生みだした思想と言って良い。
室町時代に既に日本に入っていたものの、ほとんど研究されていなかった「陽明学」を研究・浸透させたことで日本陽明学の祖と呼ばれる。

門下生で他に有名なのは
・熊沢蕃山:岡山で家老職を務め、日本最古の庶民向け学校「閑谷学校」を作った陽明学者
・井上真改:大阪を拠点に活躍した江戸期を代表する刀工。西の真改・東の虎徹と言われる

陽明学は中国の明の時代の学者・王陽明(1472〜1529)が創始した儒学の一派。
当時メインストリームだった朱子学(これも儒学の一派)を批判し、

・心即理:人の身体と心は生まれた時から一体であるから、心本来の動きに従うべきという考え方
・致良知:人としての良心や判断力は生まれつき備わっているものという考え方
・知行合一:知ることと行うことは同じである(行動を伴わない知識は不完全である)という考え方

という思想を展開した。

幕府が江戸に作った武士専用の公立学校では朱子学がメインに研究されており、
・朱子学=江戸、武士の学問
・陽明学=上方、庶民の学問

という図式が生まれる。

中江藤樹が推進した「陽明学左派」は、ゴリゴリにアカデミックなものではなく、今風に言うと地域社会における福祉の充実や企業の社会貢献活動などを押し進めるもので、大阪で商人達が共同で設立した学校・懐徳堂(大阪大学文学部の前身)などに思想が受け継がれている。