東京週末旅行 その4:書聖 王羲之展に行った

2013年3月11日

東京週末旅行の話もこれで終わり。
二つ目の付けたしテーマ「書聖 王羲之展」を見に行く、です。
会期が始まった当初は、京都国立博物館に巡回展が来るんじゃないかと期待していたのですが、会期の最後の方になっても巡回展の予定が発表されない!どうしよう!と思って慌てて予定に入れました。頑張って行って良かった…。
王羲之って中国文学の好きな人とか書道をやってた人とかには、もう「神!」以外の形容が見当たらない人なんですが、一般の人は…知らなくてもしょうがないかも。NHKドラマの「とめはねっ」見てた人は名前だけ聞いたことあるかもです。
私は大学の進学先に中文科を選ぶ程度の中国文学好きですし、小学校から高校卒業までは書道をやってたので、当然王羲之の模本がいっぱい見られる!キタ━━ヽ(゚ω゚)ノ━━!!と言う感じ。
そう、模本(レプリカ)なんです。王羲之本人が書いた「真筆」は残ってません。その代わり唐の太宗を始め、オリジナルを持っていた人がトメハネどころか虫食いまで復元した精巧なレプリカを作らせ、後世にはさらにそのレプリカが作られました。1次レプリカを元にした石碑も作られており、その石碑から取った拓本など、中華文明のレプリカ作りの技術の粋も堪能できます。これに比べたら、現代のコピーブランド品作るなんて簡単ですよネー…。
レプリカとは言え、歴代の持ち主は当然歴代王朝の皇帝や有名コレクターで、鑑賞した際に押す印や書き込みの跋文には中国文化史の有名人が続々登場。有名どころでは書画関係では必ず顔を出す北宋の徽宗など。これを見るのも楽しい!!
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そんなわけで行ってきました。東京国立博物館。
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図録もばっちりゲットだぜ。
西安に行った時に碑林博物館で「三蔵聖教序碑」を見たんですが、石碑の保護のためにアクリルの板で覆われてるせいで光るし、やっぱり石碑なんで文字は見にくかったんですよね…。
この石碑は三蔵法師がインドから仏典を持って帰ってきたことを讃えるための文を太宗が作り、その文字を太宗の王羲之コレクションの中から選んで写して作ったものが彫刻されています。書道をやっている人にとっては行書のお手本として定番。ただ、石碑自体は唐の時代に作られたあと、明の時代にヒビが入ったんだったか、完全に二つに割れたのをくっつけたんだかしたんです(うろ覚え)。なので、その石碑から拓本を取るとヒビが入ります。
今回の展示ではヒビが入る前の時代の拓本と入った後の時代の拓本が並べてありました。こういう楽しみは書ならでは。
あと、蘭亭序の模本だけでなく、その世界観を見せるために様々な「蘭亭序図」も並べてあったのが良かったです。
一人の書家が文字で描いた情景が、後世の人によって絵画や文字と絵の合わさった屏風絵になって、多彩な作品群を構成するテーマに昇華されていく。そういう、一つの作品が起点になって形式を変えて表現される「展開」のなされかたは現代ではネットの各所で行われていますが、数百年に渡って起きるハイレベルな表現展開をまとめて見ることができるのは後世に生まれた者の特権です。
同様に、王羲之の書法を学んだ後世の書家たちが書いた作品が展示されているのも興味深く見ることができました。見ていて思わず「ほー」と思ったのが、清の碑学の鄧石如の作品もあったこと。南朝の王羲之などの作品を手本とする帖学に対して、北朝の石碑を手本とするのが碑学、その実質的な開祖が鄧石如です。
清に流行した考証学と連動していたこともあり、ガチガチの復古主義かと思い込んでいたのですが、作品を生で見ると古い書体に王羲之に由来するエモーショナルな感じ(意味不明ですいません)をかなり入れています。
完全に昔の書体を復元しようというのではなく、古い書体・書法から得られるものと、それまでのメジャーだった柔らかくすっきりしたものを上手く組み合わせようと試行錯誤があったんだと思います。考証学が資料的な見直しから公羊学に発展し、後に戊戌変法派につながる、大きなパラダイムシフトを求める力を連想させました。
…いつものことながらマニアックな話なので、適当に聞き流してください。
真筆が失われてしまっているのは残念ですが、オリジナルが失われているからこそレプリカからオリジナルの姿を思い描き、それを自分の書法に反映させてきた東アジアの書道家たちの熱気を感じた展示だったと思います。