電子媒体の読書体験

2012年9月9日

前回は小説の内容についての感想を書いたが、今回は電子書籍をスマートフォンやタブレットで読む、デジタルな読書体験について書きたいと思う。
この小説について、作者の藤井氏は「ハイスピードノベル」というキャッチコピーをつけている。
作者が執筆にiPhoneを使ったのは、パソコンに向かってじっくりと文章を練り上げる時間と空間が確保しにくかったのが主な理由だと言われている。が、読者の閲覧環境に限りなく近い環境で文章を組み立てる側面もあるらしいことは、公式サイトやTwitterなどでの発言で見て取れる。
作品の装丁・文字組にこだわる作家と言えば京極夏彦氏がおそらく筆頭だが、それは単に趣味や道楽ではなくて、紙面の文字組や装丁をデザインすることで、読者が作品に向き合うインターフェイス、もっと言えば読書という種類のユーザーエクスペリエンスをデザインしたい意識の現れである。そういう点で言えば、読者の多くがiPhoneないしスマートフォンで自分の作品を読む想定をして、その画面領域にどれだけの文字数が入り、どのようなテンポでストーリーを展開すれば快適な読書体験を得られるのかという視点で小説を書き始めた藤井氏の仕事振りは多分にデザイナー的であるという印象を受けた。
今回の作品はダラダラと技術的な説明を挟まずに、スマートフォンの1画面内に収まり切る程度の簡潔な文を畳み掛けて「事件」を発端から収束までを一気呵成に語り切る。2時間弱の映画をノンストップで見るのと同じ感覚である。興趣を削ぐ余地を与えずストーリーを駆け抜けるイメージから「ハイスピードノベル」と名付けたのであろう。
このような思考で作られた小説であるということは、私自身の興味上ではストーリーの内容以上に「おもしろい」ものであった。読書体験についてデザインされた電子書籍だったからである。
電子書籍云々という話をきくにつけ、どのようなハードウェアがどの会社から発売されるか、どのようなファイル形式が優勢であるか、そのような話ばかりが取沙汰されて、肝心の読書体験については置き去りな感が否めなかった。
2012年現在、人間が享受しているコンテンツの種類は多々あるが、要はあるコンテキストに沿ったコンテンツのかたまりをどのようにパッケージングしてユーザーに体験してもらうかということで、それは紙媒体であれ映像媒体であれウェブサイトであれ、根幹は変わらない。極端なことを言えば、ウェブサイトでコンテンツが双方向性を手に入れるまで、人間がやっていることは粘土板や巨岩に絵や文字を刻んでいた頃から大して変わっていなかった。
コンテンツの表現形が印刷物であれば、紙媒体に即した表現手法がある。
例えば、紙に印刷されたマンガでは右ページの右上から左下、左ページの右上から左下に向かって時間が流れる。巧妙なコマ割りがなされていても、原則としてはそうだ。これが最初からウェブサイトに掲載されるアタマで考えたものであればどうか。個人や作家が自分のサイトやPixivに掲載しているマンガでは、四コママンガではないのに上から下への意識でコマ割りがなされているものが見受けられる。ウェブサイトの時間は上から下へ流れるからだ。
媒体が変われば表現手法はそれ自体が媒体に即したより良い形を見つけて行く。表現者はその模索と葛藤の中で表現を行い、媒体自体が成熟して行く。ビジネス用語が好きな人向けに言いかえるなら、イノベーションの成長曲線で発散思考が行われ、成長期の上昇曲線が描かれつつあるところ、である。
私はこの表現者の葛藤の過程が生み出す模索に満ちたコンテンツが好きでたまらない。そういう人間にとっては、ハードウェアのスペックがどうとか、どれだけのファイル種別があるかなどというのは時間が解決する類の話で、いちいち一喜一憂するものではない。
テレビ放送で見るか、DVDで見るかBlue-rayで見るか、細かい違いはあってもスターウォーズはスターウォーズである。この作品は映画という媒体から生まれた一つの精華だが、電子書籍からもこの媒体でしか生み出せなかった体験をさせてくれる何かが出て来て欲しい。できれば私が老眼になる前に。
ゴタクはこの程度にしておいて、感想文に戻ろう。
私自身はこの作品をiPad版iBooksを使ってePub2形式で読んだが、通読にかかった時間は約3時間である。これは作者の想定する文庫本200ページ分を読むスピードとしてはやや早いらしい。本当はiPhoneで読むべきであったと後日思ったが、これは次回作に置いておくとして、今回はiPadのiBookで「SF小説」を読むということについて書く。
結論めいたことを先に言ってしまうと、読みにくい。
何がこの読みにくさを生んでいるのか。
小説を読む時、最初のうち読者は作品世界に没入しきれていない。
初めて出会う登場人物について知りつつある状況なのに加え、SFの場合は作品世界を構成している社会のありようについても徐々に知る段階にある。その設定や社会ルールが突飛であればあるほど、現実世界からのジャンプ率は大きくなり、読者が作品世界に馴染むまでの時間が必要になる。
だが、物語が進行するにつれ作品世界への没入の度合いは上がり、目が文字を追うスピードは上がる。その最高速度は人によって違うが、最初に比べれば確実に早くなっている。
iPad版iBooksには、紙媒体をトレースするようにページめくりのエフェクトが実装されている。読者はページの右下をタップするか、指で紙をめくるような操作をして次のページへ遷移する。
このページ遷移の操作だが、私の場合は最初はめくる動作をしていた。そのうちめくる動作が億劫になり、ページの右下をタップする動作に切替えたが、それも追いつかなくなった。ページの末尾まで読んでタップしていると、タップから実際に画面が切り替わるまでのタイムラグにイライラするのである。
そこでページの半ばを過ぎたあたりまで読んだ時点でタップしておき、ページめくりが実行されるまでの時間で残りを読むタイミングに落ち着いたが、これはタップが空振りに終わることがままあり、それもまたイライラの原因になった。
過去に自分が作ったePubファイルをiPad版iBooksで読んだ時はどうだっただろうか。
私が作ったのはいわゆるパンフレット的なもので、小説ではなかった。2、3ページが1章になっており、図版と囲みコラムが入る。没入して読むコンテンツではなく、さらりと一読して内容を理解すれば良い類いのものだ。そのため本文を読むスピードは上がりにくく、悠長にページめくり操作を行う余裕がある。
小説のように作品世界に入り込んで読むコンテンツに対するツールとして、iPad版iBooksは満足できるものではなかった。そういうことだ。
ぶっちゃけたことを言ってしまうと、こういう物を読む場合ページめくりエフェクトは完全に無用の長物で、ページという概念すら邪魔である。紙の本にページがあるのは、その形式で作るのが効率的だからで、電子的な表現形を取る場合にまでそれを持ち込んで死守しようとするのはナンセンスだ。前から薄々感じていたことだったが、今回の作品を読んでみて改めて思った。
昔の巻物のように1章分が途切れることなく目の前に現れて、それを自分の思うスピードで読んで行く方がはるかに快適だ。縦書きであれば右から左へ、横書きであれば上から下へ。
画面の両端から適度なマージンを取った状態で文字が敷き詰められていて、登場人物や作品中の特殊な用語について分からないことがあれば、本文中の該当箇所を指でなぞる。そうすると、本文にオーバーレイする形で解説が呼び出されてくる。解説を読み終わったら、解説部分を指で画面の外に追いやってまた本文に戻る。
ファンタジーやSFの長編を読む場合、こんな風に読み進められたらラクだろうと思う。
少なくとも、一人の作者によって構築された単一の世界を持つ作品であれば。
電子書籍という媒体が今後普及していくにあたって、オールインワンなツールはコレであるというのはどうやら難しそうな気がする。
小説、技術書、雑誌・ムック、マンガ、etc…それぞれに適した「見え方」を完全にカバーするには、一つの読書専用ハードウェアには荷が重く、iPadのような汎用機器でも複数の閲覧アプリがカバーする形にならざるを得ないのではないかと。もしすべての書籍コンテンツに対してベストなユーザーエクスペリエンスを提供できるツールを作ってやろうという方がいたら、ぜひとも応援せねばならないとは思うが。
さまざまなルートから手に入れた書籍データを、そのコンテンツの種類によって閲覧ツールを自由に使い分けて快適に読むことができる読書環境。一種の理想と思われる向きもあるかもしれない。
ビジネスの事情からさまざまな制限を課せられてしまう現状からはなかなか道のりが遠いと感じる。また、そういう事情を優先させているようでは多種多様なコンテンツとそれを体験することに目の肥えたユーザーの支持を取り付けることなどできない。
「電子書籍元年」からの見事なまでの足踏み状態はまだしばらく続くのだろうなと思う昨今である。