『GeneMapper』感想文・小説篇

2012年8月22日

※普段と文体が違います。言い切り調のが楽なので。
国語が苦手な人たちに嫌われている夏休みの宿題のようだが、@t_traceさんこと藤井氏の電子書籍版SF小説第1段『Gene Mapper』、その小説自体の感想をひとつ。電子書籍形式の小説を読む話については後日。
この小説はオッサンが格好良い作品である。
作品中の登場人物でいうと、主人公・林田に仕事を依頼するエージェント・黒川が最も格好良いオッサンだったで賞にふさわしいのではないかと思う。彼は、2030年代後半にあって古き良き平成日本のサラリーマンの振る舞いと衣装を身につけつつ、異様に手の込んだ最新鋭の拡張現実のスキルを使いこなす、24時間戦うジャパニーズビジネスマンである。
林田がひたすら謎解きをした果てにある決断をする、その振る舞いは主人公らしくヒーロー然としている。彼の年齢は三十代、個人的には恐ろしくハイリスクだがより創造性のある選択肢を選ぶ。感情や勢いで突っ走る少年マンガの主人公ほど幼くはないが、悩みもせずに無難な方を選ぶほど守勢に立っているわけではない。同じ三十代の私自身、こういうヤツと友人になりたいと思う、ちょうどいい熱さだ。
その傍らで、林田の下した決断が良い形になるよう黒川が仕上げをするのだが、その手並みの鮮やかなこと。近年のマンガやアニメによくある、ただ単に「すごい能力」設定だけで押しまくらない、小狡いところもありつつスジはきっちり通す、オッサンの格好良さが一番出ているキャラクターだと言える。
近年の就職活動戦線で異様なほどに「コミュニケーション能力」が求められるのは、きっと彼のような人物がビジネスの現場から消えて行きつつあるからなのではないか。読みながらそんなことを思った。2012年の今ですらこんなありさまなのだから、作品世界の2030年代後半には日本のサラリーマンのネゴスキルはおそらく骨董品級であろう。
だが、黒川が一種の覚悟を持ってこの人物を演じているように、現実にもこのような人物になろうとするなら、ちゃらちゃらした流行りの文句を並べているだけの文章を読んで、万事分かったつもりになっているようではダメなのだろう。
格好良いオッサンは一朝一夕に成らず、と言うことだ。
さて、オッサンの格好良さ以外のことについても少し触れておきたい。
その昔のサイバーなSFではグリッドを駆ける男たちのことをカウボーイと言ったものだが、この作品では彼らの格好良さを残したまま歳を食ったオッサンたちが、リアルとバーチャルの世界をひょいひょいと行き来する。ネットダイバーのキタムラは、まさにカウボーイの生き残りだろう。
昔と違うのは、リアルとバーチャルが別世界になっているのではなく、リアルの上にバーチャルのレイヤーが乗算で重なっているところだ。首筋にプラグを差し込むのではなく、目やコンタクトレンズに仕込んだ「バーチャルを見る機能」をオンにする。
このあたり、まだ見ぬバーチャルを夢見た三十年前の人間と、ネット上に構築された島での人形遊びや、スマートフォンのアプリを使って現実を拡張するなど、部分的にせよ実現したバーチャルを体験した人間では「バーチャル」に対する考え方も目に見えて変わるものだと思わずにやりとした。
前世紀にサイバー何々と冠のつく作品に触れて言い知れぬ興奮を味わった方には、なんとも言えないポイントであろう。
それにしても気になるのは、この作品世界では我々が慣れ親しんでいるインターネットが崩壊しているということだ。インターネットがその名の通り埋葬されて、その後釜にはトゥルーネットというネットワークが座っている。だが、今回のストーリーにおいてトゥルーネットは「公式」な情報しか載っていない、良く言えば筋の良い、悪く言えば面白みのない情報網であるらしいという印象を受けた。
仮にインターネットがなんらかの原因で崩壊したとしても、それまでに作り上げたサービスやコンテンツは新しい機構が整備され次第、移植されると考えるのが妥当だが、それが完全には行われなかったらしい。それはなぜか。
失われたGoogleの遺産からキャッシュデータを拾い集めてくる年老いたカウボーイ・キタムラは、さながら古代の王家の墓に入るトレジャーハンターのようで、無限の荒野を牛を追って自在に駆けるカウボーイの颯爽としたイメージはない。なぜ、彼らはトゥルーネットで牛を追わずに、崩壊したインターネットの墓荒らしにいそしむのか。
インターネットはなぜ崩壊したのか、というより、なぜ崩壊させられねばならないのか。この事情が今後、作者の手で明らかにされることを期待したい。