Ingressの地元ミッション「枚方宿場町・京街道コース」を歩いた

2014年12月21日

iOS版のIngressでも「Mission」が遊べるようになって、あすなさんと大阪城のミッションをやってみたらば思いの外楽しかったので、調子こいて地元・枚方のミッションも遊んでみました。
「枚方宿場町・京街道コース」がそれ。スタート地点は最寄駅の枚方公園駅から。枚方市駅から逆に回っても良いかもしんない。
順不同ミッションなんですが、最短ルートはおそらくこんな感じです。

コンセプトは京街道の宿場町・枚方宿の雰囲気を味わってや〜というミッションなんですけども、そもそも枚方宿というのはどのあたりのことかと言いますと、枚方市駅の西にあるイオン枚方店のあたり「東見付」からこのミッションのHack必須ポータルに入ってる「枚方宿 西見附」までの間1.5kmです。東見附のすぐ東にある「宗佐の辻」ポータルが、京都へ向かう京街道と奈良へ向かう磐船街道の分岐点になっていました。京阪電車は昔の街道に沿って走っておりますので、磐船街道は現在の交野線に相当します。
宿場町の規模は本陣・宿・家を含めて341軒、人口1,600弱。遊郭もあったようで、枚方公園駅脇の浄土宗の寺・台鏡寺には遊郭の女性達の信仰を集めた「結縁地蔵」があります。
江戸時代の宿場町・枚方の資料が充実しているポータルは、やはり「枚方市立鍵屋資料館」ですね。
ここは江戸時代から続く船宿の「鍵屋」をリノベーションして作った小さな博物館です。建物の中から川に小舟で漕ぎ出していた入り口の仕掛けもきれいに残ってるので、好きな人には割と喜ばれるかと。他に江戸時代の旅装束やお伊勢参りに行った若い女性のトラベルジャーナルなんかも収蔵されてます。
江戸時代の京都・大阪間の行き来は船がメインで、京都伏見の寺田屋浜から大阪天満橋の八軒家浜までの定期便がありました。途中枚方で途中下船することもできたようですが、その定期便に枚方の川岸から料理や酒を乗せた船を漕ぎ寄せて売っていたわけです。会計は飲み食いした食器ベースなので、客は料金をごまかすために食器を川に捨てていました。
子どものころ川原をちょっと掘ると陶器のかけらが簡単に出てくるので、それで石投げをしたもんです。今思うと伊万里とかだったんでしょうけど、所詮はかけらです。まとまった形で出てきたやつが資料館に収まっています。
この辺の雰囲気は上方落語の『三十石夢乃通路』という演目に出てきますので、興味のある方は聞いてみてください。
途中、街道から少し外れたところにある「淀川資料館」ポータル。こちらは明治に行われた淀川改修工事についての展示が恐ろしく充実しております。
現在の淀川は大規模な工事によって作り変えられた川で、その前は現在の大川が淀川でありました。大阪市内中央部、中之島のあたりを流れているのがそうです。この大改修が行われるきっかけになったのが、明治18年の大洪水です。
国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所「100年前の大洪水と新しい川の誕生」
https://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/know/rekisi/tanjyou.html
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上のサイトから。この洪水で浸水した地域の図。
この時の記念碑がミッションのHack必須ポータル「枚方宿 西見附」脇の坂道を少し上がった土手の上にある「明治十八季淀川洪水碑」ポータルになってまして、淀川資料館を入れるならこれも入れておいて欲しかったナーと思ったり。
このポータル…もとい石碑、昔はもう少し西の枚方大橋の高架下脇の茂みの中にありました。小学校の時に社会科見学で行ったので間違いないです。気が付いたら土手の上に移築されてて「あるぇ?」って思ったですよ。
ここに石碑が建ってる理由は、明治18年の洪水はここの堤防が決壊したからです。当時の伊加賀村で決壊したので「伊加賀切れ」と呼ばれたそうな。
ちょうど昨年、2013年に台風による大雨で堤防から水が溢れそうになりました。あと50cmくらいのところまで水が来てたみたいです。
淀川は琵琶湖から流れ出る宇治川、京都・嵐山の方から流れてきて鴨川と合流する桂川、三重県の伊賀・名張のあたりから流れてくる木津川の三つの川が京都市の淀あたりで合流してできます。この時は上流の嵐山や琵琶湖沿岸では浸水被害が出て大変でした。
水が引き始めたので堤防まで散歩に行った時の写真がこちら。河川公園が全部水没しております。こんな感じでだばぁと行ってしまったんですね。平時の様子はストリートビューで見てください。
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とまあこんな感じで回っていただけるのが「枚方宿場町・京街道コース」ミッションです。枚方に来る機会があったらちょろっと回ってみてはいかがでしょうか。