1.17のこと

2005年1月17日

地震から10年経った。
テレビでは先週あたりからいろんな特集番組をやっていたけど、どうも見る気になれなくて、新聞をちらちら見るくらいだった。
あの時はちょうど中学3年の3学期が始まって、受験が目前になっていたので、なんだかよくわからない焦燥感に駆り立てられていた印象が強い。
あの日、私は前日の夜更かしがたたって、家中が揺れているにも関わらず、爆睡していた。大阪東北部の我が家は震度にすれば3か4程度だったが、両親は飛び起きて私と弟の部屋へ駆けつけたらしい。弟は目を覚ましていたが、私は熟睡していたばかりか、地震から一時間以上経った、いつもの起床時間にのこのこと食卓に現れ、「なんで私の部屋ぐちゃぐちゃなーん?」と口にして家族を白けさせた。
あの日京阪神地方で安眠を貪っていたのは私だけかもしれない。
聞けば、京都市内に住んでいた友人も目が覚めたという。
そんなドアホウな私が本当の意味で大ショックを受けたのは、その日の夕方だった。
学校から帰宅してみると、テレビの画面は大火事になっていた。それに倒れた高速道路やぐちゃぐちゃになった町並、数分ごとに増えていく亡くなった人の数。頭から血の気が引いて、耳鳴りとめまいでくらくらした。何が、とかなんで、とかは何もなく、とにかくショックだった。
あの地震のことを思い出すときは、常にこの耳鳴りとめまいが戻ってくる。
当時、神戸に直接の知り合いはいなかったが、町並が写ると、住んでいた人はどうしているのか気にかかるし、避難先で不自由しているんじゃないかとか色々思っていたが、実際はテレビをつけっぱなしにしたり、ラジオを聞いたりしながら塾の宿題をしていた。それでも同じ年の子達はどうしているのかというのは考えていた。(この時どうしていたのかは数年後会社の同期Tに聞いた)
結局、両親と弟は、おにぎりとか水とかレトルト食品を持って、西宮の父の友達のところまで出かけて行ったが、その先へは道路がダメで行けなかった。私は家で塾の宿題をしていた。私学の試験日まで日が無いから行かない、というのがその理由だったが、本当は嘘だ。
むしろ、テレビで見るだけでもショックなのに、実際地震でどうなったのか目の当たりにするなんて怖くて耐えられなかったのだ。今になっても、震災の番組を見られないのは、あの時家族と一緒に行かなかったからかもしれないと思う。
あれから10年経ったけれど、災害は毎年のようにあって、たくさん人が亡くなったり、家に住めなくなったりしている。天災が起きることは今はどうしようもないけど、対策の方は少しずつ良い方法ができてきているようだ。
あの地震をきっかけにして、そういう方法を作ることにしたこの10年間の色々な人たちの思いが、他の地方や海外で成果を上げているのを見ると、なんともいえず眩しいような心地になる。