日根野荘遺跡を散策に行きました

2015年5月11日

昨年の秋、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)大阪支部の展示会「BODY WORK」に参加した時のこと。大阪府泉佐野市にある日根野荘遺跡のポスターが出展されていました。
その後、打ち上げの飲み会でポスターを出展したデザイナーさんにシンポジウムが1月にあべのハルカスで行われるよと教えていただいたので行って来ました。
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シンポジウムのパンフレットがこちら。このシンポジウム、泉佐野の歴史館の学芸員の方と奈良大学の地理学の先生がスピーカーで、鎌倉時代から江戸時代までのさまざまな絵図を読み解くという内容でした。展示では絵図をものすごく大きく拡大したものをじっくり見られてすごく良かったです。
泉佐野市:日根荘遺跡とは
日根野荘遺跡は国史跡指定を受けている社寺や施設などが点在する日根野地区と大木地区にまたがる地域を指します。ここは鎌倉時代から本格的な開発が始まった「荘園」の一つで、中世の領地支配がどのように行われたかを示す資料と現地の遺構、住民による祭礼などがきれいに残っており、かつ今も現役で住民が暮らしている集落という珍しい土地です。大阪の中心部から1時間程度で中世からの遺跡に来ることができるのはかなり意外ですね。
荘園というと日本史で「墾田永年私財法」とかと一緒に習うアレ。領地というからには領主=地主のようなイメージになりますが、地主と小作というよりも荘園自体が一種の自治体として機能していて、領主はその開発に投資するスポンサーでありオーナー、平常業務は管理人や開発を請け負わせた寺社の技術者に任せていたとのこと。
荘園一つが一個の独立した自治体として動くので、その内部では独自の法律を持っていたり、独自の行政システムを作り上げていたりと完結したコロニーのようになっていたそうです。
さてこの日根野荘園は京都の公家・九条家の領地でした。
九条家というのは藤原氏の中でも摂政・関白を輩出することができる五つの「摂関家」のうちの一つ。武家の時代になってからも有力な公家としての勢力を維持し続け、明治維新後には公爵家となって大正天皇の皇后を出しています。要するに超エリート貴族です。
その九条家の領地として開発された日根野荘園ですが、室町時代の終わり、応仁の乱に伴うゴタゴタで九条家は借金を背負う羽目になります。その清算のために日根野荘園を担保にするのですが、それがさらに和歌山の根来寺とのトラブルを引き起こし、家督を息子に譲っていた九条家の前当主・九条政基がわざわざ京都から現地入りして領地経営に当たるという事態になります。そうして日根野荘園に滞在していた間、九条政基が書いた日記や業務記録が今も残っているというわけ。
シンポジウムで絵図とその意味をしっかり頭に入れたし、遠出にも良い気候になったしいざ現地へ!
 
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ここで降りるのは初めて。日根野=関西国際空港に行く時に関西空港線に乗り換える駅というイメージです。
JRの日根野駅前から南海バス(PiTaPaが使えない路線!)に乗り込むと、そこにはすでにハイキング装備の老若男女が。犬鳴山に行くんでしょうね。
バスは山の方へどんどんと入っていきます。道は緩やかに曲がりくねってこれぞ昔の道という感じ。阪和道の下をくぐって本格的に山間部に入ったところ、犬鳴温泉の少し手前・中大木のバス停で私はバスを降りました。車内のハイキング客から突き刺さる好奇の視線。こんなところで降りてどこへ行くの…?背中が痛い…。
中大木のバス停を降りたところにあるのが火走神社。
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鳥居の前の道路を自動車がびゅんびゅん走って行きます。怖い。
 
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門をくぐると奥に社殿が。すごくきれいに手入れされてて美しい境内です。真新しい垣の横にも寄進した人の名前を刻んだ石柱が置いてあって、ザ・地元のお社だなーと感心しきり。
 
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とりあえず「このあたりをウロウロしますが怪しい者ではないのでお目こぼししてください」とご挨拶だけは済ませておきます。
 
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鳥居からは「大木富士」という山が見えます。いろんな色が見えるということはいろんな種類の木が植わっている良い山ですね。
 
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バス道から集落へ坂を下って行くと樫井川が。この川を中心にして集落が開発されています。犬鳴山や紀伊山地から流れてくる水を集めて大阪湾まで流れて行きます。
 
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山の上に見えるお寺。本当はあそこまで行きたかったけど、地図を見た感じ道が険しそうだったので今回は断念。
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大木小学校の校舎。木造らしいです。塔みたいなのがあって格好良い…。

 
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ぷらぷらと歩いているとひたすらこんな感じの棚田が続きます。間に細い水路が張り巡らされていますが、この水路も荘園が開発された当時からあるものが多いそうで。
 
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棚田の中をくねくねと曲がりくねる道を辿って行くと、緩やかにうねる田んぼと朽ちかけた小屋のある場所に出ました。
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田んぼの片隅には真新しい石碑が。ここが九条政基が日根野荘園滞在中に居所としていた長福寺…の跡です。あらかじめ「田んぼになってて面影はないのよー」と聞いていたので「ああ、これがそうか」と。歴史スキーは石碑があるだけでも「ある」と思えるので、建物が残ってなくてもどうとでもなります。
大木地区をぶらぶらと歩いてシンポジウムで聞いた内容を思い出していました。日本の水利用は変に汲み上げたりせずに高い所から低い所に流れ落ちる水路を作って上から順に田んぼに水を引き入れるのがセオリーだそうです。
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ということは、このように写真右手の山の上にある水路から水を落として田畑の間に用水路を通し、写真左手の谷に流れる樫井川に流しているということになります。実際、鎌倉時代の水利絵図ではそのように描かれています。Google Mapsを見るとちょうど先ほど行った火走神社の裏山の上にため池があり、そこから写真の右手前に向かって流れている水路がないと棚田に水を落として来ることができません。写真右手にはバス道が通っているのですが、それより高いところを水路が通っていることになります。
そんなことを考えながら下大木のバス停まで歩いて来たところ、バス停の脇になにやら石段が。
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これはあやしい。
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登ってみる。
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山の上の水路あったヨー。田んぼに水を張る時期になるとここに水を流すんでしょうね。
 
次は下大木からバスに乗って再び阪和道路の下を潜って山を下り、日根野地区に戻ります。
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途中、大木地区と日根野地区の間にある「境界橋」というバス停の脇にはため池が。こういうため池があちこちにあります。境界橋はおそらく大木地区と日根野地区の文字通り村境の橋なんでしょうね。水利権の関係で川上の大木地区から日根野地区に水を流す量をコントロールするためのため池だったのかなと想像したり。
 
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日根野地区の中心にあたる日根神社と慈眼院。神社の境内とお寺の境内がぴったり隣接しています。それもそのはずで、明治の神仏分離令までは一つの境内に一緒にお社とお寺があったのを後から線引きして別にしたからです。
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鳥居のすぐ横にお寺のお堂が。慈眼院は日根神社の「神宮寺」なのでこれが当然の姿。
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日根神社の拝殿。奥に安土桃山時代に立てられた朱塗りの本殿があります。が、柵があって屋根しか見えず。
ここも現役で手が入り続けているザ・地元のお社です。このお社の脇に鉄の柵で囲われた一角があり、そこに慈眼院の多宝塔(国宝)があります。柵の目が細かくてちゃんとした写真を撮れなかった…。多宝塔の足元は苔で覆われていてきれいでした。
火走神社もそうでしたが、京都や奈良の観光地化された大きな神社とは違う雰囲気があって良いですね。ちょうどこの日は氏子さん達の寄り合いがあったらしく、社務所に地元の方々が集まって入って行かれました。
こちらでもひとまず散策のご挨拶をば。
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日根神社の摂社の中にある比賣神社。府の文化財です。
溝口大明神という名前で別の場所にあったのを移したものだそうです。このあたりの水に関連する神ではなかったかと言われているそうですが、細かいことは資料が散逸して分からないそうです。現在の祭神はアマテラスとスサノオの姉弟とのこと。
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日根神社の近くにあるため池。
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大木地区からはるばる流れて来た水路です。樫井川から分離して井川水路という別の流れになっています。
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井川水路は人間が歩く道路が低い所へ下がって行くのと分かれて畑の中の高い場所を流れて行きます。
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タマネギ畑。泉州といえばタマネギ!母がよく「泉州の女の子はみんなタマネギよう食べるから肌がきれいでべっぴんが多いねんで」と言っています。タマネギの美肌効果はすごいんですね…。
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タマネギ畑を抜けて最後のポイント・総福寺天満宮へ。寺で天満宮とはこれいかに。
こちらも神仏分離をしなかった寺社で、ひとつの境内の中に寺と神社が同居しています。
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まごうことなき天満宮です。
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天満宮の是非もの、ウシさんも居ます。アタマをなでなでさせていただきました。頭良くなるかな…。
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天満宮の社殿をバックにならぶ仏塔。神仏習合ですねぇ。
日本中にこういう場所がいっぱいあったんだろうなーとしみじみしました。
 
日根野荘園の散策はこれにて終了。
本当はあと何ヵ所か見たいところがあったんですが、バス道からけっこう離れていて今回は見送りとしました。自転車があったら行けたかな…。自動車だと停める場所がないので良くないです。やっぱり自転車ですね。
いつも通り好きな人にしか分からんそうなネタだったので一人でぶらぶらしに行ったんですが、思った以上にきれいに保たれていて現役の生活空間というのは強いなと思った次第です。祭礼の時に行くとまたにぎわいがあって良いのではないでしょうか。